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植民地主義的経済構造を変えなければ、持続可能な社会は実現できません。

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田中優子

法政大学 社会学部 教授

vol.9 江戸時代と持続可能な経済

江戸時代は完全な循環型社会

田中教授は江戸時代の研究で注目されていますね。なぜ今、江戸時代なのでしょうか。

江戸時代は、国際社会の中で成立しているんですね。16世紀から整い始めた国際的な結びつきが、江戸時代の成立要因そのものになっているとも言えます。面白いのは、海外との関わりが、政治家や知識人のそれではなく、庶民の生活レベルで強く見られるところです。ヨーロッパはもとより中国やインドの文化が、大衆の生活に色濃く影響を及ぼしています。

ですから私は、地球規模で「世界の中の江戸時代」という捉え方をして見ています。また、江戸時代はほぼ100%に近いリサイクル社会だということがわかっています。完全なまでの循環型社会を形成していたわけですが、この点には現代人から見ると驚くべきことがたくさんあります。

江戸時代における循環型の生活を具体的に教えてください。

18世紀半ば頃、江戸は100万人の人口を抱える世界一の大都市でした。パリやロンドンの人口が50〜70万人と言われていますから、たいへんな規模です。そんな大都市である江戸には、当時もやはりいろいろな社会問題がありました。まずはゴミ問題です。当初はみんな川に捨てていたんですね。江戸時代のゴミの量は今と比較すると微々たるものではありますが、それでも人口が増えていくにつれてゴミも増え、みんなが自宅の最寄の川に投棄するようになると、まさに「塵も積もれば」の状態で、その川の水かさが上がってしまうんです。当時隅田川などは米や酒などを運搬する船が行き来していましたので、ゴミのせいで船の往来に支障が出ると大変です。また、既に上水道のシステムがあり、こうした河川から生活用水を引いていたことから、川をきれいにしておく必要があります。川への投棄に対しては、江戸幕府ができて間もなく禁止令が出て、ゴミ箱の設置を義務付け、業者が回収し埋め立てするシステムに転換になりました。ゴミとは言っても、現在のようなプラスチックゴミは存在しませんし、化学物質で汚染が進むようなことはありません。埋め立てた場所では野菜が作られていたようです。それに江戸時代は現在のような大量生産大量消費文化ではありません。着物を買うことも普通は一年に一度くらいだったと思われます。

古くなっても別の物に作り変えるか古着屋に売りますし、着られる状態で捨てられることは一切ありません。それどころか、ボロ布の状態になるまで使って、最後にはカマドで燃やされて燃料になり、その灰に至るまで肥料や染料の材料、食器洗いに利用されていました。着物だけではなく、紙は漉き直しますし、草履や下駄、鍋も修理する行商が回ってきます。ろうそくなどは燃やす際に流れ出る蝋を集めておくと、それでまたろうそくを作るために業者が買い取りに来るのだから驚きです。次に排泄物問題です。中世の絵巻を紐解くと、人々は特に場所を選ばす用をたしていたのがわかります。しかし江戸はそれも禁じました。替わりに共同の公衆トイレを作ったのですが、やがて汲み取りを専門に行ない肥料としてお百姓さんに売る「下肥(しもごえ)問屋」という商人が現れました。この問屋システムは、商売として成功していたと思われます。こうして非常にうまく循環型社会が構築されていました。では、こういったシステムを現代の日本に取り入れられるか、というと、残念ながら現段階では不可能に近い。最も大きな理由は、農村が崩壊していることです。農村で吸収できない限り、リサイクルの着陸地点を他に求めなくてはいけないのです。

モノを循環させるための仕事

江戸時代の仕事と雇用の状況は、現代のそれと比べるとどうでしたか。

現代人の感覚では、江戸時代のようなシステムでは、商売にならないのではないかと思えますよね。しかし江戸時代には失業者がほとんど見当たりません。女性の就業率も大変高かった。要するに、モノは何でも手作りで大量に生産できませんから、それなりに高価な値段で売られていたんですね。今のような廉価販売はなかった。だからこそ、前述したように、古くなったものを集めに回る人、修理・修繕を職業にする人など、“モノを循環させるための仕事”が数多く成り立ったのです。

それに比べ現代は、とにかく新しいモノをたくさん作って売らなくては雇用も生まれませんから、ここが大きく異なります。また、江戸時代にも仕事を仲介する業者が相当いたことがわかっているので、多くの仕事があったと推測できます。しかし一人の人が多くの仕事を抱えるようなことはなく、みんなでシェアしながら、時間の面では相当ゆとりのある働き方をしていたみたいですね。

植民地政策は今も続いている

お話を聞いていると、現代社会を江戸時代のように持続可能な方向へ導くのは難しい気がしてきます。田中教授は実現できると思いますか。一番の構造的障害は何だとお考えですか。

持続可能な社会を実現するためには、既存の経済構造から脱却するしかないのではないでしょうか。産業革命がもたらしたものは、持続可能な社会の不可能性だったと思います。なぜならマーケットとして無限大のものを想定するのが産業革命以後の経済だからです。どんどん作ってどんどん売らなくてはいけない。そのためには効率を含めたコストパフォーマンスをどこまでも追求する必要があり、その過程で出てくる人件費の問題を打開するために、どうしても植民地政策が生まれるのです。典型的なのはイギリスとインドの関係です。イギリス人はインドから安く原料を持ってきて、大量に生産した工業製品をインドに売りに行きました。インド人は自分たちが手で作ったものよりずっと安価なその製品に飛びつきました。それがいつしかインド人のモノづくりの技術を壊滅させ、結果的にインドは、自国のみで生きることのできないイギリス依存の国になりました。

それに乗じてイギリスは、インドのモノもヒトも更に安く使えるようになったわけです。こうした循環をつくることこそが植民地政策です。この組み合わせがないと経済が成立しないのですから、産業革命は植民地主義と抱き合わせです。資本主義経済は現在に至るまでこの構造を保持し続けてきました。言うことを聞かないと実力行使で戦争を始めてしまうことも変わっていません。地球環境が危機に瀕している今、このように国と国との落差で利益を上げるという経済構造では持続可能な社会は築けないのです。

持続可能な社会の構築のために、どのような枠組みでの取り組みが必要だと思われますか。また、それに向けてひとりひとりがどのような意識を持つべきでしょうか。

持続可能な地球環境であるためには、資源を循環させなくてはいけないのですが、江戸時代なら個々に手の届く範囲でできたことが、今はもはや国ごとの取り組みでも完結させらない。これだけグローバル化した世界ですから、一企業のため、一国のためという考え方では、将来結局共倒れです。国境は人間が作ったもので、実際には空も空気もつながっているのですから、「うちの国だけきれいに」は物理的に不可能です。にもかかわらず、国際的にも未だに京都議定書のような混迷した有り様です。そうして考えていくと、逆に、結局は自国で完結させられるようにした方がやりやすいと結論づけられはしませんか?遠くからモノを運んでくるという行為そのものが環境に多大な負荷を与えます。ありとあらゆるものを輸出入しながら経済を回すことから脱却して、自給自足、地産地消を成立させ、国ごとにしっかりとした環境対策を組めば、多くの問題が解決されるはずです。

ではなぜそれができないのでしょう。そこで前述した植民地政策に話がつながるわけです。日本が自給自足を試みると、モノが高くなるから駄目だと言う人がいますが、日本と中国の関係を見ても、利益の出どころが人件費の差額だという状態です。他の国を貧しくさせることでできた落差を利用して、より安価なモノができているのですから、その値段がむしろ異常なのです。この点は消費者側も何としても認識する必要があります。江戸時代がそうであったように、地産地消でモノの値段を適正化し、それに関わるサービスなどで雇用を生み出していくのが、持続可能な経済のあり方だと思います。

では、持続可能な社会の構築のために、企業に期待することはなんですか?

CSRが脚光を浴びていて、熱心に取り組む企業が増えてきました。実際に従業員の雇用環境などの整備はずい分進んだと思います。こうして企業が、働く人の現場から考えを離すことなく、足元からしっかり正していくのは非常に重要なことです。なぜなら、健全な雇用環境で働く人たちは、広く外にも目を向ける可能性を持っているからです。CSRで懸念すべきなのは、例え本業で社会的責任を果たさず、ひどいことをしていても、社会貢献活動を利用して対外的なイメージアップを図ろうとすることだと思います。だからこそ、自分の会社が社会に対し何を行っているのか、誰に対しどのように貢献しているのか、こうしたことに意識的になれる従業員が増えることは、社会が正しい方向に進む上で欠かせないことなのです。

確かに現時点では、CSRに取り組むことで企業イメージを上げたり、その結果優秀な人材を集めることができても、確実に売上を上げたり株価を上げたり、企業として目で見える実績を上げることは難しいかもしれない。しかし、企業は時代の変化による求めに応じ変革していかなくてはならないものです。環境問題にしても、人権問題にしても、また、一連の企業不祥事を見ても、CSRに真摯に取り組むことは、企業が自らを持続可能にするために必要不可欠なファクターになるはずです。

PROFILE

田中優子

法政大学 社会学部 教授

法政大学社会学部・メディア社会学科教授(専門:日本近世文化・アジア比較文化)。
北京大学交換研究員、オックスフォード大学在外研究員を経て現職。
江戸時代の文学・文化・貿易・経済と江戸期中世アジア比較関係論等を専門にし、江戸時代の価値観から見た現代社会の問題に言及することも多い。

主な著書に『江戸の想像力』(筑摩書房・1986年度芸術選奨文部大臣新人賞)、『江戸百夢』(2000朝日新聞出版局・2000年度芸術選奨文部科学大臣賞、2001年度サントリー学芸賞)、『江戸の恋』(2002集英社新書)

2004年12月10日

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