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佐々木 吾朗

vol.83


PROFILE

キユーピー株式会社
社会・環境推進部 課長

現在の会社での経歴と担当している主な活動

1994年入社。情報部門に5年間在籍し、グループウェアの運用に携わる。その後、グループ従業員のコミュニケーションを目的にした「電子かわら版iQp」の立ち上げに関わり、ナレッジマネジメントプロジェクトの推進を職務とする。2005年に現在の部署に異動して以来、社会・環境報告書の制作を担当するほか、「社会と環境について語るブログ」で日頃の取り組みを発信している。

趣味

音楽。小学生でチェロを始めて以来、生活の一部と言えるほど、音楽は自分にとって身近なもの。アマチュアのオーケストラにも所属している。

好きな国or行ってみたい国

あえて挙げるなら、北極や南極、イースター島など、あまり人の手が入っていないところに憧れる。

影響を受けた人、尊敬する人、目標にする人

高校時代、国語の先生授業で毎回提出する小論文で鍛えられたこと、社会の先生に世の中の見方を教わったことが、今の自分に少なからず影響しているように思う。また最近、竹中平蔵氏の講演を何度か聴く機会があり、受け答えのすごさに驚き、尊敬するようになった。

一番大事にしているもの

自分の価値観とアイデンティティ。最終的にはそれしかないように思うから。


佐々木さんが描く、理想的な社会とはどんな社会ですか?

一言で言うと「多様性を受け入れる社会」です。多様性の尊重はよりよい社会づくりに不可欠だと、しばしば言われるようになり、少なくとも個人レベルでの理解は、一昔前に比べるとずいぶん進んだと思います。けれども、自分は受け入れてほしいと思う反面、他人は受け入れたくないような雰囲気が存在する点において、社会が本当に成熟したかどうかは疑問です。多様性を受け入れるということは、言うまでもなく、対象となるものを無視することではありません。しかし実際には、ややもすると、あえて干渉しないことで、表面上は受け入れたかのような状態をつくり、それで良しとしていることが多いのではないでしょうか。本来、互いの価値観を受け入れるには、相応の懐の深さが必要なのです。

なぜなら、受け入れる対象がどうであるかではなく、受け入れる側が主体的かつ積極的に「受け入れる」と腹をくくる、自立した決断が求められるからです。これを「信頼する」に言い換えることもできます。相手が信頼に足るかどうかは、疑いだすときりがないわけで、個人にせよ、組織にせよ、それを繰り返してばかりでは関係を築くことなどできません。信頼すると決めるのは自分自身で、待っていれば相手が信頼させてくれるというのは、実は無理があると思うのです。企業のコミュニケーションにおいても、企業側が受け取る側の生活者を信頼しないと、いつまでたっても前に進めないと思いますし、外交などに当てはめても同じことが言えるのではないでしょうか。

どうすれば、この理想的な社会を築いていけると思いますか?

まずは議論することではないでしょうか。お互いに議論してぶつかりあうことが、日本においてはまったく足りていない気がします。議論をぶつけ合うことよりも同質化を尊ぶ教育がなされてきたということなのかもしれませんが、議論は民主主義を考える上で最も重要な要素です。多数決が民主主義の基本のように言われることもありますが、多数決は、議論を前提とした上での意思決定のツールのひとつにすぎません。それから、倫理ではなくルールを基に動く社会をめざすことだと思います。

倫理というものは個々の価値観に関わるものであり、それでいて不満だとか異論を許さないところがあります。それに対してルールは、不満や異論も包括した上で、皆で従うことに合意する“契約”のようなものです。不満や異論を持っていても構わないわけですから、多様性に富んだ社会を標榜するのであれば、ルールの考え方に基づいたほうに優位性があるはずですよね。ただし、もちろん議論によりルールを変えていけることが前提です。

今の仕事をしていく上での喜びと、逆に難しい点は?

実は私、仕事にはあまり喜びを求めていないところがありまして(笑)。もちろん、評価されれば嬉しいですし、今回、この「語る」で声をかけてもらったことも嬉しかったように、喜びがないわけではありませんが、もともと仕事観が淡々としているかもしれません。

今の仕事特有のもので難しい点を挙げると、社会貢献活動は良いこととして、無条件に素晴らしい、と思考停止になってしまう危険性があることです。実は存在しているかも知れない問題を見失わないように、自己を律する必要があります。

今の仕事を始めてから体験した印象的なエピソードはありますか?

仕事とプライベートでふたつのブログを書いています。プライベートでは匿名ですが、CSRに関わることを書いていたところ、仕事で縁のある他企業のCSR担当者に、「あのブログはあなたが書いてますよね?」と指摘されて心底驚いた経験があります。内容的には、知っている人が読めば私のブログだと特定できて不思議ではないですが、偶然読まれる可能性はかなり小さいですから、びっくりでした。

仕事では、「社会と環境について語るブログ」を2007年から続けています。企業のCSR関連部署でこうしたコミュニケーションを行っているのは珍しいのではないでしょうか。企業の顔の見えるコミュニケーションとして評価され、環境goo大賞2007のブログ部門で大賞をいただきました。

担当者になってから、自分の意識や生活の中で変わったことはありますか?

とりたてて大きく変わったことはありませんが、入ってくる情報の種類と、ブログに書く内容のような、自身からのアウトプットはおのずと変わりましたね。ただ、以前の仕事と比較すると、いわゆるCSRの世界については、「こうあるべき」だというメインストリームの考え方が、大きすぎることに違和感を感じています。

主流と反主流しかないというか、良い意味での混沌がないので、議論にもなりにくいですよね。この世界にも、たったひとつの答えではなく、いろいろな考え方があって良いと 思うのですが、どうでしょうか。

社会に伝えたいメッセージをどうぞ!

企業は、「ステークホルダーに信頼される」ことはもちろん大切なんですが、それだけでなく、「ステークホルダーを信頼する」ことも考えて欲しいと思います。

一方生活者も、信頼の判断基準を、国や企業ではなく、自分自身に置くようにする必要があるのではないでしょうか。そうした社会をめざしていければと考えています。

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